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留学中の考古学徒の勉強・研究メモ
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中世ヨーロッパの教会②
空間を形成する役割としての教会 本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、...
Le Pavillon des Sessions(ルーブル美術館)
Le Pavillon des Sessions とは、ルーブル美術館の一角に存在するアフリカ、アジア、オセアニア、そしてアメリカ地域の美術品が展示されている部屋である。イタリア絵画やフランス絵画のゾーンの賑わいが嘘かと思うぐらい人が少なく、がらんとしているので、落ち着いて...
ダホメ王国の芸術
ダホメ王国(Danhomé) 現在のベナン共和国の南に17世紀から19世紀末まで存在した王国。ダホメとは蛇の腹という意味で、言い伝えでは、蛇の腹の上にダホメ王国は建国されたということになっている。この言い伝えから、ダホメ王国ではよく自分の尾をくえわている蛇の輪っかのモチーフ...
ヨーロッパにおけるアフリカ美術とその流通の歴史
①15世紀末 アフリカの美術品が初めてポルトガル人によってヨーロッパにもたらされた。当時、ポルトガル人はヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへたどり着くための航海ルートを模索しており、1460年、アフリカの西岸にも上陸していた。15〜17世紀、ヨーロッパアフリカ間での交易...


中世ヨーロッパの教会①
キリスト教とは救済を得るための宗教である。原罪から許され、天国に行くことが現世を生きる上での最も重要な目的である。中世ヨーロッパにおいて、ほとんどの人はキリスト教徒だった。この時代に芸術で扱われるテーマのほとんどが聖母子や聖人であるように、宗教は中世において文化の中心であっ...
11〜13世紀にかけての農民事情
農民はおおまかに2つの種類に分けられる。裕福な農民と貧しい農民である。 たとえばLes laboureursは他の農民(les manouvriersやles brassiers)などよりは、かなり裕福だった。 なぜなら、彼らは鋤を持っているので、les...
中世ヨーロッパにおける移動
道は商人や軍隊の移動のためになくてはならないものである。 道の建設によっては移動はより速くなり、国境を守るために戦う軍隊にとっては素速い移動を可能にすることはとても重要だった。つまり道、交通の整備は経済や政治的な側面を持っている。...
アッカドと帝国の出現
ー2350年、アッカドの初代の王サルゴンによって人類初の帝国が誕生する。 帝国誕生以前はシュメールのそれぞれの都市の外交や紛争によって多国間主義?(multilatéralisme)が保たれており、ひとつの国がすべての国を統べるという発想はなかった。それに反して、アッカド帝...
ウルク文化とその発展
ウルク(Uruk) は "都市"を意味する。 ウルクには伝説的な王の一人、ギルガメシュがいる。 ウルク遺跡は590ヘクタール、パリの半分ぐらいのサイズで地層は45mに及ぶ。 アレクサンドリア(ー270)の時代にあたる地層はウルクに比べるとかなり後のもので、あまり研究されて...
新石器時代の中近東における頭蓋骨信仰
例1:アンマン (Amman) 1980年代、ヨルダンの首都アンマンで、複数の彫像が発見される。 大きさは30cm〜90cm、性別不明、目と口が刻み込まれていた。 これらの彫刻は人間の頭の形をしているが、何に用いられていたのかは当時全く分からなかった。...
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