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May 10, 2018

ヴァイキング時代以前(紀元700〜800年以前)の北欧では、多くのローマ時代の遺物が発見されている。ヴァイキングがヨーロッパや中東に進出する遥か昔、紀元1世紀頃にはすでにローマ・イタリア地域との交易が行われていた。多くのローマ時代の遺物の発見から、北欧の時代区分においてだいたい紀元1世紀から4世紀までの時代を« l'âge du fer romain »、ローマ鉄器時代と呼ぶ。

土器などの当時それほどの価値のなかったものは北欧には流入することはなかった。調査によると、Limes(ローマ帝国の領域を示すフロンティア)付近では多くの土器が...

April 8, 2018

創元世界史ライブラリーから出た熊野 聰氏の「ヴァイキングの歴史」を読みました。

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今受講しているスカンディナビアの考古学の参考書として購入。

教授から参考にとThe Viking Worldの全ページのコピーが送られてきたけど、あまりに長すぎるのと、今後別にこの分野を専攻するわけでもないので、めんどくささに負けました。本当ならフランス語で読めるBauduinの本から読んだほうがいいんだろうけど…時間節約です。

いくらヨーロッパとはいえ北欧の歴史なんて完全に知識ゼロだったので、ぼちぼち役に立ちま...

January 18, 2018

宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇がよく見える配置に配置されていた。

上階は管轄教区の教会、下階は共同生活する修行僧の学生のためのスペース(おそらく)だった。

エクス・ラ・シャペル« Aix-la-Chapelle »はラテン語の « capella »に由来する。 « capella »はサンマル...

January 17, 2018

8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち、ドイツ、スカンジナビアから入植して定住してアングロサクソンとなった)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒むものは無理やり川に入らされ、それでも抵抗すると殺された。この慈悲のないやり方がもしかすると、スカンジナビアの人々(Viking)を南への遠征へと触発した一つの原因と捉えられるかもしれない。

そんな時代背景の中、エクス・ラ・シャペルにシャルルマーニュのパレが建てられ...

January 13, 2018

フォルム北に位置するバジリカ アエミリアは紀元前179年に二人の執政官によって建てられた。執政官は一年ごとに二人ずつ投票で選ばれた。

建物の建設などの権利を持つのはCenseur(検閲官?)という役職で、5年に一度選出される。大カトは自身が検閲官だった時にBasilica Porciaを建設させている。その5年後、Marcus Fulvius Nobilior と Marcus Aemilius Epidusが検閲官だった年に、バジリカ アエミリアは建てられた。バジリカ アエミリアはヘレニズム様式に影響を受けていると言われている。中心...

January 12, 2018

古代ローマではバジリカはなくてはならない建造物の一つである。

フォルムの区画を整えるだけではなく、様々な機能を担っており、ギリシャでいうストアのようない存在だった。

バジリカとはギリシャ語で王の、(royal)という意味を持つが、バジリカそのものはローマで考案された。

バジリカがローマで最初に建設されたのはおそらく紀元前2世紀のはじめ頃である。

Tite-Liveの文献には、紀元前210年に起きたフォルムでの火事で、フォルムにあった店(木造)や個人の邸宅が燃えてしまったと記されている。フォルムは商業的な場所であり、両替屋もあったことが分かる...

November 2, 2017

フランス、ナルボンヌでアンフォラの工房(des officines)が発見された。

アンフォラ(amphore)は当時、ワインやその他の液体物を入れるのに最もよく使われた容器である。あまり便利なものとは言えず、積み重ねるのも難しく、壊れてしまうことも多かった。  多くのアンフォラが発見され、その製作は規格化され、ひとつの産業として成り立っていたと思われる。

1980年台の研究によるアンフォラの分類

- 前1世紀。 Dressel 1。 30Kg、20L入れることができる。

- アウグストゥス時代 : Gauloise 2。平らな底、10K...

November 1, 2017

①ワイン: ブドウの実と水を発酵させて作られた。一時期は専売権を維持しようとしたローマ人によって、ガリアでのワインは禁止されていた。他の飲み物に比べると、ワインはさほどポピュラーではなかった。しかし、ワインに関する考古学的資料は比較的見つけやすい。例:アンフォラ。ギリシャ人やローマ人がワインを輸出していた。主に宴会で飲まれていた。ガリアではワインを水で割らず、そのまま飲んでいた。これは、水で割って飲むのが主流であるとしたローマ人やギリシャ人にとってはなかなかショッキングであった。ワインは主にアンフォラに入れて保存された。そのアンフォ...

August 26, 2017

フランスのアナール派の歴史家たちの講演や対談を記録したもの。

主にテーマはタイトル通り、20世紀初頭から70年台ぐらいまでのフランスでの歴史学と人類学の研究動向について。

70年台の講演などもあり、翻訳出版されたのは90年台。

講演者はルゴフやデュビー、ラデュリーなど中世史家ばっかり。。

正直中盤は眠かった。特にアナールの編集部の人部分。

序盤のルゴフやデュビーは実例も多く出るし、家族だとか妖術だとかいう人類学ではおなじみのテーマを歴史学の研究の中に組み込んでいて、面白かった。でも、そもそものフランスで歴史学のヒストリオグラフィーをある程度知...

June 1, 2017

大学が夏休み(厳密には試験結果と追試待ちの中休み)に入ったので、友人たちとアヴィニョンへ日帰りで行ってきました。

                アヴィニョンの町並み

アヴィニョンはアヴィニョン捕囚時の教皇庁で有名な中世都市です。当時のものかは定かではないですが、街を取り囲む城壁もそのまままるごと残されていました。

                   教皇のパレ

今回は考古学科の友人とではなく、法学部の友人たちと行ったので、教皇のパレ見学にもあまり時間を割くわけにもいかず、おもしろい展示もさーっと見てしまったのが無念です。発掘や修復時に出...

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