シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)②宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇...
シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)①8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち、ドイツ、スカンジナビアから入植して定住してアングロサクソンとなった)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒...
共和制ローマのバジリカ②フォルム北に位置するバジリカ アエミリア(Basilica Aemilia) は紀元前179年に二人の執政官によって建てられた。 ちなみに執政官は一年ごとに二人ずつ投票で選ばれた。 建物の建設などの権利を持つのはCenseur(検閲官?)という役職で、5年に一度選出される。...
共和制ローマのバジリカ①古代ローマではバジリカはなくてはならない建造物の一つである。 フォルムの区画を整えるだけではなく、様々な機能を担っており、ギリシャでいうストアのようない存在だった。 バジリカとはギリシャ語で王の、(royal)という意味を持つが、バジリカそのものはローマで考案された。...