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留学中の考古学徒の勉強・研究メモ
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パリの考古学と建築の歴史研究所
教授に紹介してもらったパリの考古学と建築物の歴史研究所にて研修してきました。これはパリ市庁の文化部門のひとつで、パリに関する文献や資料、出土品の保管と研究、パリ市内での発掘や建物の保全、修復などを主に行う課と、パリに関する古い地図や地形図、文献を保管し研究する課がある。職員...
中世ヨーロッパの教会②
空間を形成する役割としての教会 本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、...
Le Pavillon des Sessions(ルーブル美術館)
Le Pavillon des Sessions とは、ルーブル美術館の一角に存在するアフリカ、アジア、オセアニア、そしてアメリカ地域の美術品が展示されている部屋である。イタリア絵画やフランス絵画のゾーンの賑わいが嘘かと思うぐらい人が少なく、がらんとしているので、落ち着いて...
ダホメ王国の芸術
ダホメ王国(Danhomé) 現在のベナン共和国の南に17世紀から19世紀末まで存在した王国。ダホメとは蛇の腹という意味で、言い伝えでは、蛇の腹の上にダホメ王国は建国されたということになっている。この言い伝えから、ダホメ王国ではよく自分の尾をくえわている蛇の輪っかのモチーフ...
ヨーロッパにおけるアフリカ美術とその流通の歴史
①15世紀末 アフリカの美術品が初めてポルトガル人によってヨーロッパにもたらされた。当時、ポルトガル人はヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへたどり着くための航海ルートを模索しており、1460年、アフリカの西岸にも上陸していた。15〜17世紀、ヨーロッパアフリカ間での交易...


中世ヨーロッパの教会①
キリスト教とは救済を得るための宗教である。原罪から許され、天国に行くことが現世を生きる上での最も重要な目的である。中世ヨーロッパにおいて、ほとんどの人はキリスト教徒だった。この時代に芸術で扱われるテーマのほとんどが聖母子や聖人であるように、宗教は中世において文化の中心であっ...
11〜13世紀にかけての農民事情
農民はおおまかに2つの種類に分けられる。裕福な農民と貧しい農民である。 たとえばLes laboureursは他の農民(les manouvriersやles brassiers)などよりは、かなり裕福だった。 なぜなら、彼らは鋤を持っているので、les...
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