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POST RÉCENTS : 

ダホメ王国の芸術

ダホメ王国(Danhomé)

現在のベナン共和国の南に17世紀から19世紀末まで存在した王国。ダホメとは蛇の腹という意味で、言い伝えでは、蛇の腹の上にダホメ王国は建国されたということになっている。この言い伝えから、ダホメ王国ではよく自分の尾をくえわている蛇の輪っかのモチーフが見られる。このモチーフは権力の永続性を示す。ダホメ王国はトーゴの南からやってきた移民によって建国された。彼らは13世紀頃にダホメ王国のあったベナンの南に侵入し、ポルトガルやヨーロッパ諸国を相手にした奴隷貿易で栄えた。数万人ににものぼる人々が奴隷として南アメリカに移り住み、同時に西アフリカの文化も輸出され、現地に根付いた。ダホメ王国時代の芸術品の中には奴隷貿易に関連するものが多くある。

2016年、ベナンはフランスの所有するベナンの文化遺産の返還を要求した。フランスの法律家チームは法律に従い、美術品を返還すべきもの、返還の必要がないものに分類していったが、とりわけ人的遺産、身体の返還問題が議論の中心となった。

19世紀、フランス軍がダホメ王国に侵攻し戦争が勃発。その際に、フランス軍側によって多くの芸術品や工芸品が奪われた。ダホメ王国はフランスの支配下に置かれ、19世紀の終わり頃まで、ダホメ王国から流出した芸術品は思いがけず世界のアフリカ芸術市場を賑わわせた。

Bocio

ダホメ王国の有名な芸術品のひとつはBocioである。

« cio »とは死体、生きていないものを意味し、« bo »はこめられる魔力を意味する。

魔力をこめた場合のみ、Bocioをはその効果を発揮する。Bocioそのものを偶像視し崇めるわけではないので、Bocioは売買もされている。Bocioを偶像としてあつかているのはむしろ、Bochioをコレクションしたりしているヨーロッパ人や現地の人間ではない人のほうである。 Vodunというパワーをこめるのにも利用され、他世界との交信を可能にする。 ブードゥー教の教えでbocioの使用が定められているわけではないが、Bocioの使用は一般化している。Bocioは人間っぽい見た目だったり、魚だったり動物だったりいろいろな種類がある。時には縛ったり、積み重ねられることもある。民間人が使うBocioもあれば、王室専用のBochioもある。出産や死亡、病気、新たな王の即位などの場面で利用されることが多い。

芸術品に見られる象徴、モチーフ

Agadja王(1711-1740)は国境を広げ、ダホメ王国最初の宮殿を建設した。君主が変わるたび、新たな宮殿が建てられ、徐々にその規模は拡大し最終的に47ヘクタールにまでなった。現在では、ユネスコに世界遺産として登録されている。宮殿の大部分はフランス軍の侵攻により焼き払われてしまったので、現在残っている建物は復元によるものであり、宮殿内の装飾品等はすべてケ・ブランリ美術館(フランス)に所蔵されているため、ほとんど何もない。

他にも、ヨーロッパ人によってもたらされたカービン銃がよく芸術品のモチーフとして扱われる。宮殿の門や宮殿の壁に施されたダホメ王国の歴史を語り継ぐ彫刻はその一例である。さらに、ダホメ王国ではよく軍隊や兵士がモチーフとして好まれるが、これらはヨーロッパ人のもたらしたキリスト教的価値観に影響を受けていることが多い。ベナンのあたりでは、悪魔を打ちのめす聖人の図像が当時流行った。しかし、これらのキリスト教による影響は、Bocioには反映されなかった。ベナンの宗教事情は複雑で、ムスリムもいれば、キリスト教徒もブードゥー教もいるが、みなBocioをを使用する。

ダホメ王国にはアマゾンと呼ばれる女戦士たちが存在し、男性よりも権力を持っていた。

権力の象徴である剣には、よくライオン(これも権力の象徴)と勝利を意味する人間の生首のモチーフが見られる。ダホメ王国には生け贄(人間)の制度があり、この制度はヨーロッパ人たちを熱狂させた。私達が想像するほど残忍なやり方ではないらしいが、当時はアフリカ=野蛮、未開人というイメージがあったので、生け贄の制度があるという事実だけが独り歩きした。

adamunoとadamuwaton

誰が作品を作り、その人はどんな身分の人だったのか?

伝統に従い制作する職人のことをL'adamunoと呼ぶ。一方で、伝統に従いつつも新たなことに挑戦する職人のことをL'adamuwatonと呼んだ。君主と王国を称える作品制作が望まれた。展示するための作品ではなく、君主や神に捧げられる信仰のための作品だった。職人たちは宮殿に住んでいて、どんな社会的身分でも職人になることができた。

19世紀にベナンからブラジルへと渡った多くの奴隷たちはアフロブラジリアンと呼ばれる。彼らは、ブラジルから戻り、ブラジルで得た経験や現地の文化を混ぜた少し違うスタイルで彼らの作品を作り上げた。主に制作に使われる材料は木で、他の職人のように宮殿に住み、中にはエリート階級にまで上り詰める者もいた。

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