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POST RÉCENTS : 

共和制ローマのバジリカ①

古代ローマではバジリカはなくてはならない建造物の一つである。

フォルムの区画を整えるだけではなく、様々な機能を担っており、ギリシャでいうストアのようない存在だった。

バジリカとはギリシャ語で王の、(royal)という意味を持つが、バジリカそのものはローマで考案された。

バジリカがローマで最初に建設されたのはおそらく紀元前2世紀のはじめ頃である。

Tite-Liveの文献には、紀元前210年に起きたフォルムでの火事で、フォルムにあった店(木造)や個人の邸宅が燃えてしまったと記されている。フォルムは商業的な場所であり、両替屋もあったことが分かる。しかし、ここではまだバジリカについては書かれていないので、まだ存在していなかったと想定できる。

Aurelius Victorの紀元前184年の文献では、大カト(Caton l'Ancien)が彼の名をつけたバジリカ、la basilica Porciaが元老院の集会所と民衆の集会所の間に建てた、と記されている。しかし、なぜ大カトはバジリカを建てたのかは未だに分かっていない。

この2つの文献からローマ最初のバジリカは210年から184年の間に建てられたと思われる。

さらに、紀元前193年のプラウトゥスの喜劇、Curculioの中でもフォルム、とくにバジリカが登場するので、210年から193年に年代は絞られる。この喜劇ではバジリカの位置をも示してくれている。どうやらコミティウムと魚屋の間にあったらしい。

専門家はバジリカとは210年の火事で焼け落ちてしまったatriumim periumの新たな名前なのではないかと言っている。

その後、共和制ローマにおいて最大とされるバジリカ アエミリアが建設される。

さらにフォルムの南には、(アエミリアは北)バジリカ センプロニアも建てられることになる。

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