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留学中の考古学徒の勉強・研究メモ
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シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)②
宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇...
シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)①
8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち、ドイツ、スカンジナビアから入植して定住してアングロサクソンとなった)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒...
古代ガリアのアンフォラの分類と分析
フランス、ナルボンヌでアンフォラの工房(des officines)が発見された。 アンフォラ(amphore)は当時、ワインやその他の液体物を入れるのに最もよく使われた容器である。あまり便利なものとは言えず、積み重ねるのも難しく、壊れてしまうことも多かった。 ...
古代ガリアにおける飲み物:ワイン、ビール、蜂蜜酒
①ワイン: ブドウの実と水を発酵させて作られた。一時期は専売権を維持しようとしたローマ人によって、ガリアでのワインは禁止されていた。他の飲み物に比べると、ワインはさほどポピュラーではなかった。しかし、ワインに関する考古学的資料は比較的見つけやすい。...
パリの考古学と建築の歴史研究所
教授に紹介してもらったパリの考古学と建築物の歴史研究所にて研修してきました。これはパリ市庁の文化部門のひとつで、パリに関する文献や資料、出土品の保管と研究、パリ市内での発掘や建物の保全、修復などを主に行う課と、パリに関する古い地図や地形図、文献を保管し研究する課がある。職員...
中世ヨーロッパの教会②
空間を形成する役割としての教会 本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、...
中世ヨーロッパの教会①
キリスト教とは救済を得るための宗教である。原罪から許され、天国に行くことが現世を生きる上での最も重要な目的である。中世ヨーロッパにおいて、ほとんどの人はキリスト教徒だった。この時代に芸術で扱われるテーマのほとんどが聖母子や聖人であるように、宗教は中世において文化の中心であっ...
中世ヨーロッパにおける移動
道は商人や軍隊の移動のためになくてはならないものである。 道の建設によっては移動はより速くなり、国境を守るために戦う軍隊にとっては素速い移動を可能にすることはとても重要だった。つまり道、交通の整備は経済や政治的な側面を持っている。...
古代ケルト人の墳墓の発掘(Lavau)
2014年、L’INRAP(Institut national de recherches archéologiques préventives)が、Aube県、Lavauで、紀元前5世紀頃のものと思われる墳丘を発見し、現在も発掘作業が進められている。...
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