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POST RÉCENTS : 

中世ヨーロッパの教会②

空間を形成する役割としての教会

本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、農民は修道院に税金を治める必要があった。修道院周辺には多くの人が集い、職人が工房をかまえたり、商人が市場を開いたりした。このようにして形成された中世の都市を des bourgs monastiques (修道院街?) と呼ぶ。サンドニなどはその一例である。

例:ランス大司教区

ランスはローマ時代のある都市を起源とするキリスト教司教区のひとつであり、中世にはその周辺に都市が興った。さらに、そのそばにはサンレミ聖堂とそのle bourg monastèreも存在した。クロヴィスの洗礼を執り行ったサンレミの聖遺物はサンレミ聖堂に埋葬されており、同時にサンレミのための盛大な墓も建てられた。そのお墓の周辺に le bourg(街)が形成された。時代が進むにつれ、ランス大司教区とサンレミ修道院を取り囲むle bourgは融合し、ひとつの都市となった。

農村地域における住居と教会の関係性

都市の住人たちはミサに参加するため、死者を埋葬するためにla paroisse(小教区)にある教会へ通った。

例:Portejoie (Tournedos), Eure

7世紀の教会の周りには墓地があり、北には街、南にはdes silos(地下倉庫)が位置した。発掘調査により、教会の北では多くのヤギや豚の骨が発見された。10世紀には住居は放棄され、住人たちは教会周辺からさらに500m離れた土地に定住した。しかし、教会周辺の墓地への死者の埋葬は14世紀まで続いた。

小教区は普通すでに存在する共同体の中に作られる。ある地区が小教区と認定されると、そこには教会と墓地が設けられる。次第に教会は共同体の中心となり、その周りに放射線状に町は広がっていく。中世の人々はミサや秘跡を受けるために教会に頻繁に通うため、教会、小教区の存在しない共同体は自然と二次的な町となっていった。

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