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留学中の考古学徒の勉強・研究メモ
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シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)②
宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇...
シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)①
8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち、ドイツ、スカンジナビアから入植して定住してアングロサクソンとなった)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒...
アヴィニョン小旅行
大学が夏休み(厳密には試験結果と追試待ちの中休み)に入ったので、友人たちとアヴィニョンへ日帰りで行ってきました。 アヴィニョンの町並み アヴィニョンはアヴィニョン捕囚時の教皇庁で有名な中世都市です。当時のものかは定かではないですが、街を取り囲む城壁もそのまままるごと残されて...


中世ヨーロッパの教会②
空間を形成する役割としての教会 本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、...
中世ヨーロッパの教会①
キリスト教とは救済を得るための宗教である。原罪から許され、天国に行くことが現世を生きる上での最も重要な目的である。中世ヨーロッパにおいて、ほとんどの人はキリスト教徒だった。この時代に芸術で扱われるテーマのほとんどが聖母子や聖人であるように、宗教は中世において文化の中心であっ...
11〜13世紀にかけての農民事情
農民はおおまかに2つの種類に分けられる。裕福な農民と貧しい農民である。 たとえばLes laboureursは他の農民(les manouvriersやles brassiers)などよりは、かなり裕福だった。 なぜなら、彼らは鋤を持っているので、les...
中世ヨーロッパにおける移動
道は商人や軍隊の移動のためになくてはならないものである。 道の建設によっては移動はより速くなり、国境を守るために戦う軍隊にとっては素速い移動を可能にすることはとても重要だった。つまり道、交通の整備は経済や政治的な側面を持っている。...
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