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POST RÉCENTS : 

Le Pavillon des Sessions(ルーブル美術館)

Le Pavillon des Sessions とは、ルーブル美術館の一角に存在するアフリカ、アジア、オセアニア、そしてアメリカ地域の美術品が展示されている部屋である。イタリア絵画やフランス絵画のゾーンの賑わいが嘘かと思うぐらい人が少なく、がらんとしているので、落ち着いて作品を見ることができる。私の大好きなイースター島のモアイ像も普通に展示されているのでびっくりする。部屋は凹字型になっていて、それぞれの地域ごとにゾーンが分けられている。全体で108点、アフリカ美術品に関しては46点が現在展示されている。これらのコレクションはケブランリ美術館のコレクションの一部であり、出張展示?みたいな形ではあるが、一応常設展という形をとっている。

この展示室の入り口にあるパネルでは、手短にこの展示室の詳細と歴史について説明されている。 注目すべき点はこのフレーズである。

« à l’émotion esthétique du parcours entre les œuvres s’ajoute le plaisir de la découverte d’informations complémentaires sur l’histoire des objets, les sociétés qui les ont produits et leurs usages, accessibles dans un espace multimédia spécialement aménagé. »

つまり、この部屋に飾られている美術品から美的感動を得るだけでなく、これらの美術品が誕生した歴史、社会、そしてその美術品の用途なんかについても特設の部屋でより理解を深めてくださいね、ということらしい。他のルーブルのどの部屋にもわざわざこんな内容は書かれていないし、特設の部屋もない。これもまたヨーロッパ人の西洋文明外の美術品に対する民族学的アプローチの名残な気がしてならない。

特設の部屋とは液晶画面と座席が20席?ぐらい用意された部屋で、凹の奥の部分に存在する部屋のことである。Le Pavillons des sessionsに展示されている美術品ひとつひとつのかなり細かい解説や歴史、参考文献、関連書籍などなどを自由に画面を使って検索できる上に、他にも直接ケブランリの他のコレクションを検索したりもできて、とても便利なのだが、誰かが真面目にこの部屋を利用しているのは一度も見たことがない。

ケブランリという西洋美術以外の芸術を一挙に展示する巨大な美術館がありながら、なぜLe Pavillons des sessionsがルーブル美術館に存在するのか?なぜその必要があるのか?まずそもそも、西洋美術品以外を一気にまとめて、言わば隔離して展示しているというコンセプト自体、フランスではあたりまえのようになっているが、差別的ということでお隣のドイツからするとあり得ないことらしい(教授談)。

ルーブル美術館にArts premiersまたはArts primitifs(原始美術)が展示される。 もちろんすんなりと展示が可能となったわけではない。いくらピカソやジャコメッティなど多くの美術家やアポリネール、マルローのような作家たちがArts premiersに感化され、新たな芸術品や文芸作品を作り上げていったと言えど、やはりそれらの地位はまだまだ西洋美術やギリシャエジプトの古代美術などの足にも及ばなかった。及ばないというよりは、同じ芸術品として並べ、扱うのは不自然、おかしいと思われていた。

例えば、美術史家のCharles Picardは、1930年にキクラデス諸島の偶像について次のように述べている。(キクラデス諸島はギリシャではあるが、新石器時代以前の芸術品とアルカイック期以降のものとは扱いが異なっていたのだと思う)

« Les idoles cycladiques n'ont point une grande valeur d'art, sauf pour les amateurs contemporains d'une esthétique un peu nègre. »(原始的な美を好む現代美術愛好家にとって以外、キクラデスの偶像には大した芸術的価値はない。)

今でこそこのような発言を知識人が堂々としているのが信じられないが、当時のフランスのアカデミックな世界ではPicardのような意見が主流であった。 このような風潮は1931年に行われた l’exposition coloniale(植民地博覧会)においてPaul Rupalley の用いた« l’art nègre » (黒人美術)という視点が根強く残っていたためであった。先の引用文では« nègre »が原始的、黒人的、といったニュアンスで使われている。彼は、 les arts nègres はルーブルにはふさわしくない、なぜなら les arts nègres は「人類の精神と文明の発展を経験してはいない」から、と主張した。

そのような世論に真っ向から向かっていったのが Jacques Kerchacheであった。Jacques Kerchacheはアフリカやオセアニアの美術品を収集してたコレクターで、アマチュアの美術史家でもあった。若い頃から世界各国を旅し、現地で数多くの美術品に触れ、学んだ。その知識の豊富さから、作品批評や多くの展覧会の主催を任されていた。

彼は1990年、世界の芸術品はすべて自由に、そして平等に扱われるべきであると主張し、ルーブル美術館にアフリカ、アジア、オセアニア、アメリカ地域の芸術品を展示することを目的とした空間を設けると宣言した(現在のLe Pavillon des Sessions)。しかし、彼のこの宣言は民族博物館関係者や文化遺産に関する各機関から非難を受けた。民族博物館関係者にとって、その地域で現地の人の手によって作られた美術品は、その民族を知るための民族学的資料のひとつであるため、それを美術品としてルーブル美術館に展示するというのは言わば民族学的資料の盗難であるとした。また、文化遺産に関する各機関からは、「ルーブル美術館はそもそもそのような民芸品を展示するような目的、意思はない。」と批判を受けた。

そのような批判があったにもかかわらず、当時の大統領ジャック・シラクの支援により、Jacques Kerchacheは2000年4月13日、 Pavillon des sessionsの建設を実現する。 そしてその5年後、2006年にはケブランリ美術館がジャック・シラクによって開館された。

Pavillon des sessionsの存在は単にルーブル美術館でも、ヨーロッパや中近東圏外の作品が見られる、ということではなく、西洋的価値観に支配された伝統的美術館が他地域の美術品を彼らの美の基準をもって受け入れたことの証明、言わばシンボルのような役割を果たしていると言える。

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