考古学から知る、ヴァイキング時代以前の北欧ヴァイキング時代以前(紀元700〜800年以前)の北欧では、多くのローマ時代の遺物が発見されている。ヴァイキングがヨーロッパや中東に進出する遥か昔、紀元1世紀頃にはすでにローマ・イタリア地域との交易が行われていた。多くのローマ時代の遺物の発見から、北欧の時代区分においてだい...
「ヴァイキングの歴史」創元世界史ライブラリーから出た熊野 聰氏の「ヴァイキングの歴史」を読みました。 http://amzn.asia/4pgcLFK 今受講しているスカンディナビアの考古学の参考書として日本から取り寄せた。 教授から参考にとThe Viking...
シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)②宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇...
シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)①8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち、ドイツ、スカンジナビアから入植して定住してアングロサクソンとなった)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒...
共和制ローマのバジリカ②フォルム北に位置するバジリカ アエミリア(Basilica Aemilia) は紀元前179年に二人の執政官によって建てられた。 ちなみに執政官は一年ごとに二人ずつ投票で選ばれた。 建物の建設などの権利を持つのはCenseur(検閲官?)という役職で、5年に一度選出される。...
共和制ローマのバジリカ①古代ローマではバジリカはなくてはならない建造物の一つである。 フォルムの区画を整えるだけではなく、様々な機能を担っており、ギリシャでいうストアのようない存在だった。 バジリカとはギリシャ語で王の、(royal)という意味を持つが、バジリカそのものはローマで考案された。...