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POST RÉCENTS : 

ウルク文化とその発展

ウルク(Uruk) は "都市"を意味する。

ウルクには伝説的な王の一人、ギルガメシュがいる。

ウルク遺跡は590ヘクタール、パリの半分ぐらいのサイズで地層は45mに及ぶ。 アレクサンドリア(ー270)の時代にあたる地層はウルクに比べるとかなり後のもので、あまり研究されていない。ウルクは文明の起源とも言われる都市なので、アレクサンドリアの地層よりも優先的に研究されている。

キーワード:都市化、”歴史”の始まり、文字の発明(ー3000頃) Eanna神殿: シュメールにおける愛や戦争の女神、Inannaを奉る神殿。アレクサンドロス王の時代までその信仰は続く。この神殿の上にアレクサンドロス王の子孫が新たな神殿を建てたせいで、多くの地層は失われてしまった。一方でアレクサンドリアの遺跡では紀元前の3000年前後の地層が発掘されている。

ウルクの中心部: 直角に整備された道。街についてはあまり分かっていないが、三段構造のジッグラトがあったことは確か。 応接室やテラス、庭などを含む。C棟 (espace central + bas côtés, ~30 portes, 1200m², 2 édifices collés) のような巨大な建物もある。 スギやマツの支柱に支えられた巨大な屋根。当時のイラク南部の平均気温は25度、春の午後には45度まで上がるため、ヤシ、ナツメヤシ、ポプラは存在したが、針葉樹は生息していなかった。 スギやマツはどこから輸入されたのか??

Terrasse d'Anu:Anuとはシュメールの神のこと。シュメール後期、三段構成の建造物。高さ11m、レンガ造り。壁の傾斜は70°。敷地面積2000平方メートル。神殿すぐ横には膏の壁を持つ「白の神殿」と言われる迷路のような構造の地下施設がある。用途は不明。石造りの土台。内部もまた石(アマルガム、石灰でできた控え石とコンクリートとビチューム)で作られている。メソポタミアにおいて最も古い神殿の一つ。紀元前5000年の都市国家の成立までに20以上のこのような建物があったと発掘調査から推測できる。

都市は決して、一都市だけ孤立して発展することはない。都市は他の都市とのつながりを持ち、より発展していく。いくつかの都市ではすでに独立した政治形態を持ち始める。

ハブラカビラ (Habuba Kabira):ウルクから北西へ1500km、シリアにあるハブラカビラ。

ドイツの発掘チームがテルの発掘を行い、遺跡の周りに街を発見。地表から15cm程度の地層にあったため、発掘は比較的容易であり、街の詳細が良くわかるため、当時の都市のモデルのひとつとなっている。 建造物群(三段構造の神殿)と人々が居住していたであろう地区が発見される。北から南に軸があり、東から西へ直角に砂利でできた4mほどの幅の道が伸びている。神殿はウルクのEanna神殿とよく似ていて、発見された他の家の構造や発掘物もウルクで見つかったものと類似している。

ウルク文化で特筆すべきポイントはのひとつはフライパン型のかまどである。それは10cmほどの深さの穴でウルクで発見された土器と全く同じサイズ、形をしている。このかまどもまた、ハブラカビラで発見された。

実はハブラカビラは200年間ウルクの植民地であった。居住区域の構造の類似はウルクの人々が都市整備の際に介入したことを示唆している。これは人類最古の植民地である。

先にも述べたようにハブラカビラはウルクから1500km離れたシリアにある。更にトルコよりのArslan tepeでも同様にウルク文化の影響を受けた巨大建造物が発見されたことにより、専門家の間では、トルコの東部あたりまでウルク文化は広がっていたのではないかと言われている。

これがプロト・ユルバニスム (proto-urbanisme)の始まりである。

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