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POST RÉCENTS : 

新石器時代の中近東における頭蓋骨信仰

例1:アンマン (Amman)

1980年代、ヨルダンの首都アンマンで、複数の彫像が発見される。 大きさは30cm〜90cm、性別不明、目と口が刻み込まれていた。 これらの彫刻は人間の頭の形をしているが、何に用いられていたのかは当時全く分からなかった。

他にも、頭蓋骨の上から粘土で肉付けされた彫像の一部が発見される。 専門家たちは、これは頭蓋骨への信仰だと考えたが、現在では先祖への信仰だろうと考えられている。いずれにせよ、特殊な信仰心がこの時代にこの地域に存在し、死者が重要な役割を果たしていたことは確かである。 例2:チャユニュー (Çayönü) ユーフラテス川の中流域に存在する新石器時代の遺跡。skull buildingと呼ばれる400人以上の人々が暮らしていたであろう建物が発見される。建物内部には主に長方形の形をした部屋があり、人間の遺骨で満たされた空洞が発見された。排水用と思われる水路には人間の血が流れた痕跡が発見された。その部屋は人間の首を切って、儀式の準備をするための部屋だったと推測される。 儀式には集落の人間が使われていたのか、それとも他の集落から調達されていたのか、生きたまま首を切られたのか、殺した後に切られていたのか、実際の儀式方法などはこの当時まだわかっていなかった。 例3:ダマスカス (Damas)

2006年、穴の中に丁寧に置かれた古い複数の頭蓋骨が発見された。この頭蓋骨はどのように頭蓋骨が取り扱われていたのか知る手がかりとなった。(実際どんな処理をしていたのか調べる必要あり) 例4:チャタルヒュユク (Çatal Hüyük) 石膏のマスクをつけた頭蓋骨と一緒に埋葬された若い女性を発見。おそらく信仰、儀式に寄るもの。頭蓋骨と信仰、儀式の関係を裏付ける発見となった。

現在の頭蓋骨に関する見解:

これらの儀式的要素、または、信仰にかかわっていたであろう頭蓋骨の複数の遺跡での発見は新石器時代の社会をより深く理解するために必要不可欠であり、現在でも議論が続けられている。

現在主流とされる2つの見解: - 祖先への信仰説。 - もとは戦いの戦利品であり、それが代々受け継がれ儀式の際に陳列されていた説。

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